入試国語と読書欲

以前から持っていた数学書を読み返すことに積極的になった。解析と線形代数、大学での理系科目の基盤だから、早く読んでしまいたい。興味本位で解析入門1(東京大学出版会,杉浦光夫著)を買ってから数年、未だに微分の章までしか読んでなかった。積分を読みたい。スチルチェス積分ってなんだ? ラング線形代数学上下(ちくま学芸文庫,サージ・ラング著)もある。行列の対角化って何のためにあるの? 知らないから、知る必要がある。

 

また、最近、暇があればAmazonで本を探していることが多くなった。読みたい理学書を探したり、中古だと安く買えないかなとか思ったり。大学から教科書の指定が来るまでは買わないと思うけど。

 

しかし、理学書だけではない。人文学系の本にもこのところは興味が出る。小説はあまり読まないけれど、随筆とか、哲学者の書いたやさしい解説書とか。

 

受験が終わり、受験の数学にはまるで魅力が感じられなくなった。入試問題を解くよりも、定理の証明を読み進めていくほうが数学してるって感じがする。理科もよく似ている状況。英語、もともと好きではない。しかし受験の国語は、未だに自分に影響を与え続けている。過去問に出てきた文章の著者の、他の著作をAmazonで探す。

 

小学校では、国語はある意味苦痛だった。答えをどう書けばいいのかもわからず、教科書もそんなに面白くない。国語の良さは高校になってからわかった。そんなだから、模試では高2まで国語で苦戦したが、高3になると国語は得意科目になった。小説には苦手意識が残ったけれど。

 

自分が受かった大学には理系だけど国語があった。過去問は10年分やったが、やはり大学教授が選んでいる文章であろう、現代文の出題文には心惹かれるものが多かった。最近の人文学系書物への興味は、センター試験で倫理政経を選択したのもあるが、主にここから来ている。

 

2007年第1問の評論・清水哲郎「死に直面した状況において希望はどこにあるか」は、終末医療において患者が死を受け入れるにはどうすべきかを説いた文章だった。現在は健康である自分も、やがて訪れる死を見据えた上でどう生きるべきか、考えさせられた。また、自分の勝手な拡大解釈だったけれど、「完了系の生」を肯定するという(筆者が提案する)終末期患者の死の待ち方は、迫り来る入試の日を前に心を安定した状態で保つ知恵となった。

 

2010年第1問津島佑子「物語る声を求めて」、2011年第1問長田弘「失われた時代」、2013年第1問中野孝次ブリューゲルへの旅」など、近代の超克が背景にある問題文も度々ある。それ自体が近代の論理で塗り固められたような姿をしている受験のシステムに身を置いて疲弊していた自分には、それらはとても新鮮だった。

 

この間、2011年第1問の問題文の著者・長田弘氏の著書をひとつ買った。受験が終わって心に余裕ができたのもあるが、現代の人々が失ったものを見つめ直す彼の語りは心地よく読める。

 

だらだら書いていたら文字数が1300字を超えてしまった。2015年第1問阿部昭「短編小説礼賛」にあるような、文章の寸法にあった文章の調子を、まだ自分は心得ていない。